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2006年3月29日 (水)

耳コピー

昨夜からある曲の間奏部分のコードを「耳コピー」で探している。今なら、バンドスコアが楽器店などで売られているから買えばいいのでしょうが、貧乏性のせいかなかなか買う決心がつかないのだ。

以前なら、レコードを擦り切れるほどに聴いて「耳コピー」にチャレンジしたものだった。当時の曲作りが簡単なコード展開だったからかもしれないが、以外にわかり易かった。最近のは聞き分けるのが難しく感じ、何かの拍子にコードのついた本を見ると、なんかやたら面倒くさい名前のコードを使ったりしてるのが多い気がする。

単に耳が老化してきただけかもしれないが・・・・

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2006年3月28日 (火)

150

バンドネーム「The One Hundred+50(ワンハンドレッド・プラス・ごんじゅ)」の短縮形が<150>なのだ。

私が30数年ぶりにギターを手にしてライブをやり始めたときはソロ活動だった。で、この再開したライブの話を昔からの友人Komに話したら興味を持ったので、

「どうだ!おまえもやらないか」と持ちかけたところ

「一人じゃ、こっ恥ずかしくて・・」

「それじゃあ、一緒にやるか!」

ということで、考えたバンドネームが「ワンハンドレッド」

その時の二人の年齢が丁度50歳だったのと、昔言われてた「人生50年」で区切りもいいので二人分を足した数である。

二人で活動したのは1、2ヶ月だった。練習のときに選曲もするのだが、やりたい曲をノミネートするとその曲がどちらの声にも合わないし、もともと二人とも声が良いわけでも唄が上手い訳でもなかったのだ。「ボーカルに誰か入れよう!」ということになり、白羽の矢があたったのが現在のボーカル兼ギターのTomで、彼もおんなじ学年だった。

バンドネームを頻繁に変えるのは好きじゃないので「プラス・ごんじゅ」を付け加えた。「ごんじゅ」とは「50」のことで少し東北弁で訛ったように発音するのが正しい。

昨年、結成してからおよそ1年になるのだがバンドネームの由来が年齢からきてるので、年々増えていくの?という疑問が何人かから聞こえたが「バンドネームの歳」は増えません。<150>は、あくまでも結成時の年齢なのです。

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2006年3月27日 (月)

重い・・・から一変・・・

昨日は「STEALTH」を観ました。近未来ものというか、まぁ楽な気持ちで約2時間を過ごしたのです。(^.^)

前の記事に書いたように最近観たのは重いテーマが流れていたのですが、たまにはこういう気分転換もいいのだと思った。ただ、私の場合は殆どの場合前説無しで観ることが多いので、プレーンな気持ちでその映画に向かうことができる。

楽な気持ちで観る。といえば、もちろん劇場予告とかTVCMなどで取り上げた話題作なども時間とお金があれば観ます。

「ALWAYS 三丁目の夕日」は、自分のアルバムを見たような感じでした。映画の設定は私が4,5歳のときでおよそ50年前の薄れ行く自分の記憶を補強するかのように、映画のシーンとオーバーラップしてその時代の思い出が色濃く甦りほんわかした気分で映画館を後にした。それにしても、涙腺が緩くなったのはやはり年のせい?

「ハウルの動く城」を一人で観た。実は三谷作品「笑の大学」の主人公の喜劇作家のモデルが青森県出身の菊谷栄だというので興味があり観ようと思い出かけたのだが、映画館のチケット売り場でふと見ると「ハウルの動く城」が目に留まり、とっさに出た言葉が「ハウルの動く城、大人一枚!」・・・・。ま、邦画だし「笑の大学」もそのうちTVで放送されるだろうと思ったのだが、、、、まだTVでは放送されていないようだ・・・・(T_T)

「JAZZやるべ!スゥイングガールズ」。この映画を観て勇気が出たのは間違いなかった。今30数年ぶりにギターを弾き唄を歌っているのもこの映画のお陰と言っても良いくらいである。音を出す、バンドを演る、楽しさがすごく伝わり、心ウキウキになってエンドロールが終わり館内が明るくなってもアンコールがあるみたいで、いやアンコールをしたくなるような久々に感動した映画でした。
難しいことを考えずに楽しめました。この映画はきっと、どんなジャンルでも若い時に音楽を演ったことのある人なら「もう一度、演ってみたい」という気持ちにさせると思いました。
映画の中のセリフ「全ての人間は2種類に分けられる…、スイングする人間と、スイングしない人間だ」自己中な野球部3年生の決り文句。映画の後半から周囲に気づかれないよう、音を出さない指パッチンでリズムを打ち、僅かながらに・・微妙に・・微かに・・ほんの少し体を揺らし、私はスイングしてた。^^;

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2006年3月26日 (日)

重い・・・

どうも最近見る映画はテーマが重たくて観た後に心が沈みこむのだ。

好き好んで「重いテーマ」を選んでる訳ではないのだが・・・・。因みに「クラッシュ」はアカデミー賞を受賞する前に何気に見ただけだったが、自分の中で言いようの無い空しさが膨らみ、この映画のことを誰かに伝えたかった。みんなに観て欲しかった。そして、お互いが感じたことをディスカッションしてみたかった。・・・それが何かの解決にはならないのだろうけれど。

私は私の中にあるモヤモヤしたものを吐き出したかったのだろう。一人で悩みを抱えたく無かったに違いないし、皆がその映画を見ることで私の悩みが薄まると思ったのだ。でも大概は、私は自分で面白いと感じた映画でも他人へは押し付けないようにしている。映画を見る人の感じ方は千差万別であるからだ。

全8話8時間に及ぶDVD「戦争と昭和」(昭和と戦争?かな)。2日間で観たのだが、中学校や高校で習った「歴史」とは大きく違うように感じたし、改めて「日本」を見直すいい切っ掛けになったDVDだった。これまた簡単には「答え」が導かれないだろう。

「ミュンヘン」オリンピック村でのテロ行為で始まる。詳しく知らないけれど、これも人種か何かが問題点のようだ。しかし、この事件が起きたころは「フォーク」に熱中していた時期だと思う。テレビでもニュースなんかに流れたのだろうが、正直、若いころは「ニュース」など関心が無かった。あの頃はギターを持ち人混みの歩き街を彷徨い公園でギターを弾いていた。そう、髪を風になびかせてサ。世間のことは何も知らないのに、「平和」「戦争反対」「体制批判」などプロテストソングがカッコ良いと思ってた。

30数年を経て、映画のようなことが実際にあったことを知らなかった自分が恥ずかしく思えた。

映画を観るたび、無知な自分をさらけ出る。

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2006年3月23日 (木)

毎月第2土曜日はLIVE

今年(2006年)の一月から始めた定期ライブで、来る4月8日で4回目になる。2部構成でステージを勤めるのだが、第1部はソロで50分ぐらいやり10分の休憩を入れる。開始時間は夜8時からだ。第2部の前半は、やはり長いブランクがあり最近ギターを弾きはじめたMr.Jumonにソロでやってもらう。後半は友人たちとセッションバンド名「インスタント・キャラメル」として演奏する。

この「インスタント・キャラメル」の命名者はバスストップの裏手に住んでいて、私とバスストップを結び付けてくれた私より少し年配のMr.J(ミスター・ジェイ)である。バスストップ・ライブ初回からいろいろと手伝いをしてくれている。彼の息子さんはプロのカメラマンで、あの「911」の悲劇アメリカWTCビル崩壊した時、たまたま近くにいてカメラを片手に無心にシャッターを押したそうだ。その時の写真集が出版されている。ついでだから宣伝しておこう!長いタイトルです。「NY崩壊―2001‐09‐11世界が変わった日 写真家Jがたどる直後7時間の記録

話が横道にそれてしまった。m(_ _)m

月1回のライブを企画したときには、「まぁ、何とかなるだろう」ぐらいにしか思っていいなかった。しかし、時間の経つ感覚が非常に短く感じて困るのだ。

まず1ヶ月を4週として、ライブが終わった翌日からの1週間はやり遂げた達成感からオフシーズンでギターは触らない。(^^♪

第2週もそんなに切迫感が無い。「(ライブは)まだ、来月だから」など結構のんきに構えている。(^^ゞ

第3週にかかるころ、曲のリストを洗い出したり、新曲を入れようと考えたりすると,「あれ!? (ライブまで)あと2週間しか無い・・」てな具合に焦りはじめるのだ。セッションをお願いする人へのスケジュール確認や音合わせの段取りなど俄然慌ただしくなってくるのだ。(^_^;)

第4週は、時間があればただただ練習だ。それでも練習は仕事が終わってからだし、なにか用事が入ったりすればできなくなってしまう。時間が・・・足りないぃ~(;O;)

時間が足りないと思うのは自分の不精さからで仕方が無いのだが、それでも1ヶ月単位が「あっ」という間で冬から始めたこのライブ。もう、春です。

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ステージネーム

私の「加川ふ良」というステージネームは、知ってる人は知ってる!ってあたりまえのことだけど、現在も活躍してるが「加川 良(かがわ りょう)」という1970年代のフォークソングブームのときのシンガーソングライターにあやかったのです。

当時メジャーなのは、岡林信康、吉田拓郎、井上陽水などなど、、で、加川良のファンは私の周りにはあまり聞かなかった。その時、高校生の私にはレコードが高価だったこともあるが「親愛なるQに捧ぐ」というLP1枚しか持っていなかった。一般的には「教訓Ⅰ」が有名なのかな?

私のライブでは敬愛する「加川良」のカバー曲が多いのでステージネームには彼の名にあやかり「加川ふ良」にしたのです。何故、平仮名の「ふ」を使ったかというと、漢字にすると「不良」となってかなりヤバイ気がしたのと、平仮名のほうが柔らかいイメージがあるので彼の唄の過激な詩の内容でも、その中に秘められてある優しさを平仮名で表したかったのです。このステージネームは結構気に入ってます。

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2006年3月22日 (水)

バスストップ

a BUS STOP」というお店でライブ活動をしているのだが、もともとこの店は国道沿いの郊外型レストランのような食事処であった。

この店のホームページを作成する縁で付き合いを始めたのだが、アメリカ軍払い下げのボンネットバスを改造してバスの中で食事できるのが売りのレストランで、構造上レジから見えにくいところにあるのでカップルたちには非常に人気がある。

もうひとつ重要な売りは沖縄だ。メニューの中には沖縄料理がたくさん載っている。マスターが沖縄県出身であることからなのだが、北国育ちの私はおよそ見当もつかない料理ばかりで知ってるのはせいぜい「ゴーヤチャンプル」ぐらいだった。沖縄料理に興味のある方はa BUS STOPのHPへアクセスしてみてください。

一人娘の「上原みゆき」がひょんなことから、あるホテルでロビーコンサートに出演することになったのがa BUS STOP店内でライブをするきっかけになった。私が提案したのだ。オーナーに

「みゆきの練習もかねてここで定期的にいや常時ライブをやりましょうよ!」

「マイクも何も無いのよ」とオーナー。

「最初は何も無いところから始めましょう!」

とんとん拍子にことが進み2004年の秋深い11月に店の開店16周年記念と引っ掛けて初のライブに漕ぎつけたのだった。ただ残念だったのはその時の写真もビデオも何も無いことだ。しかし、初めてライブをしたその時の思い出はしっかりと記憶に刻み込んである。店内の照明を消し、店の奥の隅の一箇所だけライトをつけ、マイクもアンプも無いアコースティックそのままの音が観客に伝わった。

本当に忘れられない思い出の一コマだった。

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生涯現役

歳はとりたくない!

Furyo_2のっけから否定的で後ろ向きの言葉だが、ホントは自分自身の不摂生が原因なのはわかっている。「歳」のせいにしたほうが自身の気休めになるからかもしれない。
それまでアイスホッケーをこよなく愛し、ジュニアチームのコーチ、レフェリーなどをしてプレーヤーとしても「生涯現役」を心していたのだがある日ドクターストップがかかった。いわゆる生活習慣病によってリスクが大きくなるからアイスホッケーは控えたほうがいいと主治医から言われたのだ。
ある縁で職場も地方都市の郊外にうつりアイスホッケーからも足が遠のいてきたころ、現在ライブ活動でお世話になっている「BUS STOP」をHP制作の縁で知ったのだ。
「BUS STOP」ライブ活動のことはこれからおいおい書いていこうと思う。ただ、今思うことは1970年代に熱く燃えた青春時代の唄を、好きな唄を歌うことを「生涯現役」でやっていきたいということだ。

このブログは音楽やライブ活動の話だけでなく、個人的偏見に基づいた「初老の愚痴」や「映画レビュー」なども書いていこうと思う。

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